愛国心とは何ぞや

■日本本来の高貴さ取り戻すために

≪7世紀末に「国のかたち」≫

 今、行われているアメリカ大統領選の予備選挙において、候補者たちが演説でワシントンやリンカーンなど「建国の父たち」に言及しているのを耳にすることがある。アメリカ人にとって「建国の精神」を確認するのが4年に1度の大統領選ということらしいが、国を挙げて「建国の精神」に立ち返る姿はうらやましくもある。
 どこの国もそうだが、「建国の精神」は何よりも重視されるものだ。自分たちの父祖はこのような理想の下に国を作り上げたのだ、ということを折に触れて確認し、また、そこに立ち返り、「建国の精神」の発展・延長の上に今日があるのだと納得するという具合だ。

 間もなく今年も2月11日の「建国記念の日」を迎えるが、わが国の場合の「建国の精神」とは何だろうか。『古事記』『日本書紀』の伝えるところによれば、神武天皇橿原宮で即位されたことをもってわが国の建国とするが、独立宣言によってアメリカの「国のかたち」が確立したということができないのと同じように、日本の場合も神武天皇のご即位で完全に「国のかたち」が固まったとは言い難い。
 最近の研究によれば、対外的な危機を経て国家としての自立を示すために生み出された「日本」という国号や「天皇」という君主号が固まった天武天皇持統天皇の時代、すなわち7世紀の終わり辺りに日本の「国のかたち」がようやく固まったと見るようだ。

≪「公共の精神」という概念≫

 では、そこで固まった「国のかたち」、言い換えれば「建国の精神」とは何だろうか。

 本居宣長が発見し、明治の帝国憲法を起草した井上毅が再発見した『古事記』の「出雲の国の国譲り」の神話に示される、天皇統治は個人や一族の利益のために行われるものではなく優れて公共性を帯びたものであることを明らかにした「しらす」という統治理念。
 世界を家族的情愛でもって統治しようという神武天皇の「八紘一宇」の理想。豪族の私的支配を戒め、天皇を中心に国がまとまることを示した聖徳太子の十七条憲法。豪族のみならず皇族の土地まで没収した大化の改新から始まる「公地公民」。またそこにおける「天皇」という無私の地位…。

 これらから浮かび上がってくるのは「公共の精神」という概念である。
 私は最近、他を思いやり、自己犠牲をもいとわないわが国の国民性は、この建国の時代に固まった「国のかたち」のなし得るものであるという感を強くしている。
 武士が自らの特権を放棄して行った明治維新はまさに彼らの自己犠牲、「公共の精神」を重んずる姿勢によってこそなし得たものであったし、「版籍奉還」「廃藩置県」は明治版の「公地公民」と考えれば分かりやすい。
 沖縄のみならず大東亜戦争の末期に各地で起こった集団自決という悲劇もその精神の一つの表れであったろう。例えば映画『氷雪の門』が描いた樺太・真岡の電話交換手の女性9人がソ連軍の侵攻に際して集団自決した事件も、彼女たちが内地に引き揚げろとの軍の命令を拒否してまで職務を最後までまっとうしようという強い責任感の持ち主であったがゆえの悲劇だった。特攻隊の若者たちの気持ちも同じところにあっただろう。

≪自己犠牲をいとわない姿≫

 名越眞之氏の近著『品格ある日本人』(PHP研究所)に紹介されているものだが、昭和21年、食料が尽き、栄養失調になりながらもはうようにして屋久島永田岬の灯台の火を灯し続けた高橋義守さんという灯台守や、1992年、スペイン・バルセロナオリンピックのマラソンレースで後続のランナーがつまずかないようにと補給ドリンクの容器をわざわざ道からそれて脇に捨て、結果、8秒差で惜しくも銀メダルとなった有森裕子選手などなど、戦後においても他を思いやり、自己犠牲をいとわない日本人の姿はあちこちに見いだされる。
 私たちが普段、意識せず行っている思考や行動、ここに私たちの国の建国以来の「国のかたち」が投影されているとは意外なことかもしれない。しかし、わが国の歴史を振り返ってみたとき、一貫して「公共の精神」を重んずる日本人の姿が浮かび上がってくるのだ。

 私たちは知らず知らずのうちに「公共の精神」を重んずるという「建国の精神」を今も生きている。そのことを「建国記念の日」に当たって自覚することは「溶け行く日本」を再生させ、本来の「高貴な日本」に戻るためにも必要なことだと思われるのだ。(やぎ ひでつぐ=高崎経済大学教授)

(2008年2月8日 産経新聞)

八木秀次氏は「『天皇』という無私の地位」、つまりは「天皇=公」であると位置付け、沖縄などの集団自決や特攻隊を例に「公共の精神」に殉じることの重要性を説いている。この「公共の精神」を重んずるということは、「建国の精神」らしいのだが、今になってその重要性を説くということは、日本が「対外的な危機」に見舞われていると八木秀次氏が認識しているということなのだろう。

かつて古島一雄という人物がいた。戦前は犬養毅に側近として、戦後は吉田茂の相談役として活躍した言論人*1だが、彼は『信濃教育』に次のような文章を寄せている*2

現に世を挙げて今尚非常時の声が叫ばれて居るが、其非常時の正体は何であるか。非常時は解消したのかどうか。広田外相などは己の居る間は戦争はないと言ふが、己が居なくなったらどうなるのだ。常識から言へばソビエットでも米国でも先方から割りの悪い戦争をしかけて来るとも思はぬが‥‥

一方生命線だと云はれた満洲には一体いつまで注ぎ込めばよいのか、北支はドコで打切るのか、陸軍の腹芸は外務の口先の受合では安心出来ぬ。‥‥単純なる右翼論者は純情一点張りで中には神話時代の政治を行はんとするやうな議論を平気に唱へて居る者もあれば、甚だしきは忠君愛国を一手専売の如く振舞ふ者さえある

文中の「ソビエット」と「米国」をそれぞれ「ロシア」と「中国」、「満州」を「北朝鮮」にでも読み替えれば、今でも通りそうな文章である。保守言論人というのは、古島一雄の時代から全く成長していないことが分かる文章でもある。私はどちらかと言えば保守的な考えの持ち主であるのだが、「日本のため」だの「国益」だのと叫びながら、その実やっていることは日本の国益(国民益)を損なうような行動をする最近の保守政治家、言論人を信用していない。彼らの唱える軽薄な「国益」や「伝統」、「名誉」とやらは捨ててしまえばいい、と思っている。

うーむ、堅苦しいなぁ(・ω・`