家永教科書検定訴訟第三次訴訟・上告審判決より「沖縄戦」

5 「沖縄戦」の記述に対する修正意見について

  (一)
 所論は、本件教科書二八四頁脚注の従来の「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死に追いやられた。」との記述を「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死をとげたが、そのなかには日本軍のために殺された人も少なくなかった。」と改めるための改訂検定申請に対して、文部大臣が、沖縄県民の犠牲については、最も犠牲者の多い集団自決を加える必要があるとの理由でその記述を加えるべきである旨の修正意見を付したことには、裁量権の範囲を逸脱した違法があるというものである。
  (二)
 しかしながら、原審の認定したところによれば、本件検定当時の学界では、沖縄戦は住民を全面的に巻き込んだ戦闘であって、軍人の犠牲を上回る多大の住民犠牲を出したが、沖縄戦において死亡した沖縄県民の中には、日本軍によりスパイの嫌疑をかけられて処刑された者、日本軍あるいは日本軍将兵によって避難壕から追い出され攻撃軍の砲撃にさらされて死亡した者、日本軍の命令によりあるいは追い詰められた戦況の中で集団自決に追いやられた者がそれぞれ多数に上ることについてはおおむね異論がなく、その数については諸説あって必ずしも定説があるとはいえないが、多数の県民が戦闘に巻き込まれて死亡したほか、県民を守るべき立場にあった日本軍によって多数の県民が死に追いやられたこと、多数の県民が集団による自決によって死亡したことが沖縄戦の特徴的な事象として指摘できるとするのが一般的な見解であり、また、集団自決の原因については、集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防諜対策、沖縄の共同体の在り方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのは当たらないとするのが一般的であった、というのである。
 右事実に照らすと、本件検定当時の学界においては、地上戦が行われた沖縄では他の日本本土における戦争被害とは異なった態様の住民の被害があったが、その中には交戦に巻き込まれたことによる直接的な被害のほかに、日本軍によって多数の県民が死に追いやられ、また、集団自決によって多数の県民が死亡したという特異な事象があり、これをもって沖縄戦の大きな特徴とするのが一般的な見解であったということができる。
そして、集団自決と呼ばれる事象についてはこれまで様々な要因が指摘され、これを一律に集団自決と表現したり美化したりすることは適切でないとの指摘もあることは原審の認定するところであるが、多数の県民がなぜ集団自決という異常な形で死に追いやられたのかということを含め、地上戦に巻き込まれた沖縄県民の悲惨な犠牲の実態を教えるためには、軍による住民殺害とともに集団自決と呼ばれる事象を教科書に記載することは必要と考えられ、また、集団自決を記載する場合には、それを美化することのないよう適切な表現を加えることによって他の要因とは関係なしに県民が自発的に自殺したものとの誤解を避けることも可能であり、現に上告人は、最終記述として「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が、砲爆撃にたおれたり、集団自決に追いやられたりするなど、非業の死をとげたが、なかには日本軍のために殺された人びとも少なくなかった。」と修正し、文部大臣もこれをもって合格条件を充足したものとしているのである、所論は、「日本軍のために殺された」という原稿記述には集団自決も含まれるというが、右の原稿記述に集団自決と呼ばれる事象のすべてが含まれていると読むことはできないだけでなく、前述するところからすれば、本件検定当時の学界の一般的な見解も日本軍による住民殺害と集団自決とは異なる特徴的事象としてとらえていたことは明らかである。
  (三)
 右のような本件検定当時の学界の状況等に照らすと、文部大臣が、沖縄戦を理解するために、原稿記述の「日本軍のために殺された人」に加えて集団自決の事実を記載することは学習指導を進める上で必要であるとの判断の下に、原稿記述部分に集団自決を付加して記載するよう修正意見を付したことには十分な合理的理由と必要性があり、日本軍による住民殺害のみを記載し集団自決の記載を欠く原稿記述は、選択・扱い上不適切であり、特定事項の強調に当たるとの本件修正意見を付したことをもって、裁量権の範囲を逸脱した違法があるとはいえないし、修正によって上告人の原稿記述の意図が殊更まげられたとみることもできないというべきである。